※自分自身の気持ちの整理のために書いている、毒親にまつわるエピソードです。
苦手な方はスルーして下さい。
私の父は、昭和一桁生まれ。性格もバリバリの昭和の男でした。
職を持ち、結婚して、家を建て、マイカーに乗り。
自分は一国一城の主、家族に対しては常に絶対君主であるべき・・・。
うん、中身に問題なければ、それでも良かったんですけどね(^^;
あれは私がまだ実家にいた頃。
両親と私、三人で食卓を囲んでいた時、何の話題からそうなったのかは忘れましたが、イスラム教の話になりました。
TVでイスラム過激派やイスラム原理主義のニュースが流れたのかも知れません。
父はフンッと鼻で笑って言いました。
「大体からイスラム教なんてものは、くだらんのだ!」
あららららら・・・。
世界三大宗教の一つを、片田舎のオッサンが全否定しましたよ(^^;
「例えば、どんなところをくだらないと思うの?
私、コーラン全部読んだことがあるから、イスラム教のこと少しは分かるよ?
私で分かることなら、説明するよ?」
はい、私、読んだことあります。
もちろん日本語訳ですが。
確か岩波文庫から出ていた本だったと思います。
本当は「コーラン」ではなく「クルアーン」と発音するのが正しいそうですが、そんなことを言うとまた話がこじれそうなので、あえて両親に対しては「コーラン」と言いました。
父は少したじろいた様子でしたが、またフンッと鼻で笑って、
「断食したり、とかよ!」
イスラム教と聞いて、断食しか思い浮かばんのか、この人は。
「ああ、それはね。前提として、イスラム教には『喜捨(きしゃ)』という教えがあるんだよ。
富める者は貧しい者たちに対して、進んで施しをしなさい。自分が貧しいと思う時でも、自分よりもっと貧しい人を見たら、きっと施しをしなさい、ってね。
断食というのは、貧しくて食べられないことがどんなに辛いかを、身をもって知るための修行なの。アッラーの前では皆平等であるというのがイスラム教の教えだから、みんなで苦しみを共有するんだよ。
それに断食は、高齢者・乳幼児・妊婦・病人は無理してやらなくても良いことになっているし、1日5回の礼拝だって、旅先などでやるのが難しい場合は心の中で祈るだけでも良いって書いてあったよ。
イスラム教の教えは、人を厳しく縛り付けるためだけのものじゃないと思うよ(^^)」
両親、沈黙・・・。
「確かにイスラム教の教えには、今の時代に合わなくなっている部分もあるよね。
でもイスラム教徒に限らず、私たちみんなが見習った方が良いと思うようなことも、コーランには書いてあったよ。
例えば、誰かに道で会ったら、できるだけ丁寧に挨拶をしなさい。もし先に相手から丁寧な挨拶をされたら、それ以上にもっと丁寧な挨拶を返しなさい。
これなんかは、小学校で教えてもいいようなことじゃない(^^)?」
父は苦虫を噛み潰したような表情で、ぽつり・・・。
「でも、くだらん!」
アカン・・・(゚´Д`゚)
地球上の20億人とも言われるムスリムの信念を、完全否定できるあの自信は一体どこから来るんだろう・・・。
いつもそうやって誰かを、何かを見下して、相手を落とすことによって相対的に自分が上がったつもりになってるなんて、恥ずかしいと思わないんだろうか。
チラッと母の顔を見ると、口をへの字に結んで、黙り込んでいました。
いつもなら「アンタは本当に理屈っぽい、嫌な性格!」と言ってくるのに、その日ばかりは言ってこないところを見ると、おそらく私にこう言われるのを恐れていたのだと思います。
「良かったら読んでみる?『コーラン』。貸そうか(^^)?」
母は、お勉強が大嫌いです( ̄∇ ̄)
読んで下さってありがとうございます。