※自分自身の気持ちの整理のために書いている、毒親にまつわるエピソードです。
苦手な方はスルーして下さい。
思えばこれが全ての始まりかも知れません。
あれは私がまだ幼稚園に行く前、3~4歳だったかと思います。
私は小さい頃からお腹が弱く、よく下痢をしました。
私は子供を育てたことがないので想像でしかないのですが、そんなわずか3歳の子に、急に襲ってくる腹痛とトイレのタイミングをコントロールしろって、無理じゃありませんか?
私はよくお漏らしをしてしまい、しょっちゅう母に叱られていました。
汚れたパンツは、お風呂場に置いてある蓋付きバケツの中に入れるように言われており、いつも自分でそうしていました。
着替えのパンツをどうしていたかは、ちょっと覚えていません。
ある日、またしてもお漏らしをしてしまい、「どうしよう、お母さんに怒られる」と半泣きになっているところへ、2つ年上の姉が現れてヒソヒソ声で言いました。
「たこちゃん、漏らしちゃったの?今、お母さん台所にいるから、お座敷の方から回ってお風呂場に行きなよ(^^)」
当時住んでいた家は、戸建ての借家でした。
古い造りの和風建築で、かなり広かったと思います。
間取りを鮮明に覚えているわけではないけれど、全部和室だったので、襖を開ければ各部屋を通り抜けて、家の中をぐるっと周回できる造りでした。
姉は、母に見つからずにお風呂場へ行けるルートを教えてくれたのです。
私は喜んで、姉の言う通りにしました。
そしてお風呂場に入ると・・・。
般若のような形相の母が立っていました。
私はどうすることもできず、ただ汚れたパンツを持ったまま、うわ~ん!と泣き出しました。
母と姉は、私を指さして、腹を抱えて大笑い。
そう、全ては姉が仕組んだことでした。
姉は私に声を掛けた後、走って台所の母のところへ行き事の次第を伝え、そして母も大急ぎでお風呂場に入って私が来るのを待ち構えていたのです。
ただ、私を笑いものにするだけのために。
これだけでも充分ヒドイと思うのですが・・・。
母は、私がいる前で、このことを周囲に話すのが大好きでした。
親戚の集まりなどで、ことあるごとにこの話を持ち出しては、私が汚れたパンツを手に「うわ~ん」と泣き出す様をおもしろおかしく真似して見せる。
そしてそれがウケると、まるでその場の主役になったかのように、大はしゃぎして笑うのでした。
私は母が嫌いです。
人として全く信用していません。
いつだったかハッキリそう言った時に、私は母のこの振る舞いを理由に上げました。
そうすると母は、一言の詫びも、反省の弁も無く、こう言いました。
「アンタはそうやって昔のことをいつまでも恨んで、本当にいやらしい子!」
(その前に、いつまでもネタにするなよ(-_-;!)←心の声
そんなやり取りが果てしなく続き、私が30歳くらいになった頃だったと思います。
(そう、その年まで3歳の時のことを言われ続けていたんです・・・)
母と真剣に話をする機会があって、この話題が出た時に、私は言いました。
「小さい子供を騙し討ちにして笑いものにするなんて、いくら親だからってやって良いことだと思ってるの?私はそういうの人間レベルで最低だと思う。心底軽蔑する。私がいつまでも恨んでると言うけれど、それはお母さんが一度もきちんと謝っていないし、反省していないし、未解決だからだよ。」
私の冷やかな口調に、母は間髪を容れず、吐き捨てるように・・・。
あ、そう! わ~るかったな(`へ´)フンッ。!
もう、歩み寄る必要も無いな、と思った瞬間でした。
今でもあの時見た般若のような母の顔は、トラウマです(´д`)
「三つ子の魂百まで」って、ホントですよ。
私以外にも、母はよく親戚の小さい子をからかったり、ひどいことを言ったりして泣かせて楽しみました。
私はその度に注意するのですが、母はヘラヘラっと笑って、
「こんな小さい頃のことなんて、覚えてないからいいのよ~(´▽`)」
という発言まで!
いやいや泣かされた方は忘れたくても忘れられないトラウマだし、相手からどれだけ恨まれているか、いい加減気がつけよ(- -;。
多分この人は、このままあの世まで行くんだろうなと思います。
天国か地獄かは知らないけど、私は二度と巡り会いたくありません。
でもこの話、黒幕が当時まだ幼稚園児だった姉というのも怖いんですが(^^;
読んで下さってありがとうございます。