※自分自身の気持ちの整理のために書いている、毒親にまつわるエピソードです。
苦手な方はスルーして下さい。
アニメ版「天幕のジャードゥーガル」の放送が始まりましたね。
私はこの漫画、ネットで無料公開されていたごく最初の部分だけ読みました。
13世紀のペルシアからモンゴルが舞台のお話なんて、ユーラシア史にどっぷり漬かっている私には大ご馳走です。
けれどいかんせんあの独特の絵柄が、白黒の紙面では登場人物の見分けがつかず、残念ながらお金を払ってまで読むには至りませんでした。
なので登場人物の肌や衣装に色がついているアニメ版は、本当にありがたい!
これから毎週の放送が楽しみです(=^o^=)
さて、この「天幕のジャードゥーガル」、ざっくり解説すると、元奴隷の少女シタラが「知ること」を武器に、強大な帝国への復讐のために生き抜いていく・・・って感じのお話です。
学者の家に連れてこられて、最初はお勉強を嫌がっていたシタラでしたが、ムハンマド坊ちゃんの、
「勉強して賢くなれば、どんなに困ったことが起きたって何をすれば一番いいのかわかるんだ」
という言葉に触発され、「学ぶこと」に目覚めます。
女主人のファーティマ奥様も、シタラに教養を付けさせることにとても前向きな人でした。
ここがね、私はシタラがとても羨ましいんです。
親(の立場にある人)が、子供の「学びたい」という姿勢を、しっかり受け止めてくれるのは、本当に恵まれた環境ですから。
さて、前置きが長くなりました。
話は55年以上前、私が幼稚園に行く前に遡ります。
当時、我が家ではおやつの「ヤクルト」は、姉と2人で1本でした。
いつも先に姉が半分飲んで、残りを私にくれます。
けど姉は、ゴクゴクと半分以上飲んでしまい、下から1センチくらいの量を残して私に容器をよこします。
私は母に、情けない量しか残っていない「ヤクルト」の容器を見せて、この状況を訴えました。
すると母は、家事の傍ら面倒くさそうに言いました。
「お姉ちゃんの方が大きいんだから、たくさん飲むのは当たり前でしょう?それにこのビンは底の方より上の方が小さくなっているから、中身半分というのはビンの高さの真ん中じゃないのよ」
私はその時、それは尤もだと思いました。
そして、知りたいと思いました。
「このビンの半分はどこ?教えて!」

幼い子供の純粋な知的好奇心でしたが、母はそうは受け止めませんでした。
「アンタって子は、そんなに自分がたくさん飲みたいの?イヤラシイ子!お姉ちゃんの方が大きいんだから、たくさん飲むのは当たり前でしょう!」
誤解されている・・・
そう思った私は、必死で説明しました。
お姉ちゃんがたくさん飲むことは、それでいいと思っていること。
上の方と下の方で形の違うビンは、どこが半分なのか本当に知りたいこと。
子供ながらに必死で言葉を尽くして訴えました。
けれど母は、私の両腕を掴んで自分に向き直らせ、下から1センチくらい中身の残った「ヤクルト」の容器を示して、般若のような形相で言いました。
「いい?ここがこのビンの半分なの!」
ゼッタイ違う・・・。
子供心にそう思いましたが、普段からの母を知っている私は、諦めるしかありませんでした。
大人になって、もしも自分があの時の母の立場だったらどうしただろう?と考えました。
子供の「知りたい」。
図形や数学的な物の考え方への興味。
それを満たしてやれる、これは絶好のチャンス!
やり方はカンタンです。
空の「ヤクルト」の容器を2個用意して、片方にいっぱいまで水を入れる。
それを注意深く、少しずつもう片方の容器に移してゆき、二つ並べて水面の線が同じ高さになるようにする。
その位置こそが、その容器の半分・・・。
決して自分がたくさん飲みたかったからじゃない。
何だったら全部お姉ちゃんにあげても、私はあのビンの半分の位置を知りたかった。
けれどそれをやったら、母にしてみればさっき自分が言った「ここが半分」がウソだったことがバレてしまうのだ。
結局、私は「いい加減」に扱われていたんだな・・・。
55年以上たった今でも、忘れ得ぬ記憶です。
ちなみに姉は、母からお小遣いを渡されて、私と2人で1つのおやつ(アイスキャンディーなど)を買いに行った際は、必ず、
「この部分は小さい子には毒だから、お姉ちゃんが食べてあげるね!」
と言って私の分に食い込んでいました。
最初はほんの隅っこだけでしたが、そのうち、
「この辺も毒なんだって!お姉ちゃんが食べてあげるよ!」
と、終いにゃ2/3以上を食べるようになって、今思えばあの悪知恵にもっと磨きをかけて仕事に活かせば、どこかで荒稼ぎできる人材になっていたのではないかと真剣に思います(^^;。
私は子育てをしたことは無いですが、周囲で忙しいのかピリピリしている親が、子供の問いかけに目線を向けることもなくいい加減な対応をしているのを見ると、悲しくなります。
学ぶことは、生きていく武器になる
たとえハッキリとした答えの出ないことでも、たとえ少しくらい自分に分の悪いことであっても、子供の「知りたい」を止めないであげて下さい。
読んで下さってありがとうございます。










