アリギリス日記

50代・一人暮らし派遣社員さんの ささやかな日常をつづる ゆるい日記です

2024年の家計予算計画と2024年1月のアリギリス

2024年の毎月の予算計画です。

 

2023年は、毎月63,000円でやりくりしました。

(内訳:生活費50,000円、美容費積立10,000円、各種積立3,000円)

1年を終わってみると、美容費が29,700円、生活費が22,476円残ったので、2024年は予算をもう少し減らしても良いかな?と思います。

そして何と言っても地味にキツかったのが、月1回の決まった出費(通院+サプリ代)。これが月末近くに来ると食費を削るしか手立てが無くて(^^;

 

色々考えた結果、2024年はこうします。

①美容費積立を増額(これまで生活費だったサプリ・化粧品代をここに入れる)

②医療費積立を増設(月1回の通院+年1回の健康診断と視野検査代の積立)

③生活費を減額(①②が別枠になった分、減らしても支障ないはず)

と言うわけで、毎月の予算は60,000円となりました。

   生活費:40,000円

 美容費積立:14,000円

 医療費積立:3,000円

  各種積立:3,000円

さてさてどうなりますことやら(^^ゞ

結果は1年後のお楽しみです!

 

<1月の家計>

  食費:21,999円

必要雑貨:2,938円

  服飾:330円

  美容:14,000円(積立を含む)

  医療:6,650円(積立を含む)

 他雑費:7,458円

各種積立:3,000円

 余剰金:6,625円

 

<1月のアリさん>

久しぶりにスーパーで見つけたので買ってしまった、大好きなタカキベーカリーの「たまごスナック」。

 

ただ298円+税と、おやつとしてはちょっとお高めなので、1日1個までと決めてしみじみ味わいながら食べてます(*^o^*)♪

 

<1月のキリギリスさん>

メルカリ依存症は無理して治そうとするとリバウンドが来るので、「買ってもいいけど単価を落とす」方へ舵を切りました。

ネックレス(イミテーション)380円

ピアス(シルバーのチャームのみ)480円

ときめき度 プライスレス(ー▽ー)♪

 

今年は洗濯機と車のタイヤの買い換えを予定しているので、まとまったお金が出て行きます。財布の紐は締めていかないとね!

 

 

読んで下さってありがとうございます。

歌うに限る!私の「元気を出す方法」

今週のお題「元気を出す方法」

 

これを歌うに限りますね(ー▽ー)

 


www.youtube.com

 

車を運転していて、急に前に割り込まれたり、後ろから執拗にあおられた時。

「私、負けませんから!」

の気合いで、大声で歌います。

 

助手席に乗っている人は、大抵ビビります(^^;

 

 

あと、いろんな事が続いて、「なんで私ばっかり・・・」と、心身共に落ち込んだ時。

この言葉を思い出すようにしています。

 

「がんばれ! 元気を出せ! 救助は必ずやって来る!」

 

えーっと、これ、自衛隊の救難機が遭難者を発見したんだけど、救助活動をするには一旦仕切り直しが必要・・・な状況の時。

とりあえず水と食料、救急セットなどが入った箱を投下していきます。

その箱の中に入っている紙に書いてある言葉だそうです。

 

非常事態に直面した人間が、一番してはいけないこと。

それは、「絶望」。

 

ホントよね。

 

 

読んで下さってありがとうございます。

 

今の状況で、売名行為のどこが悪いの?

能登半島の大地震から3週間が経過しました。

ニュースを見ていると、まだ大勢の方たちが避難所で不安な生活を送られていて、本当に気の毒に思います。

避難生活の中で、新型コロナで亡くなった方もあるようで、現地の状況の厳しさがうかがい知れます。

一日も早く、被災者の方々が暖かい場所で安心して暮らせるように、願わずにはいられません。

 

そんな中で、有名人が多額の寄付をしたり、ボランティア活動をしたりするニュースが流れてきます。

ミュージシャンが自分のピアノを競売にかけて、売上金を寄付したり。

女性タレントさんが女性目線で選んだ支援物資をかき集めて、自ら現地へ届けたり。

他にも私の知らないところで、いろんな方がいろんな形の支援をしていらっしゃると思います。

今のところ何の動きも出来ていない自分から見れば、感謝と尊敬しかありません。

 

でも・・・。

 

世の中には、必ずいるのですよね。

そういった有名人の善意の活動を、「売名行為」だと非難する人が・・・。

 

確かに、有名人が動けばメディアは飛びつきますから、顔も名前も出ますよね。

普段とは違った一面を見せることで、好感度が上がったりもしますよね。

中にはそれを目的としてしている人も、もしかしたらいるかも知れませんよね。

 

でも、それの何が悪いんだろう?って、私は思います。

 

この真冬のさなか、被災地ではお年寄りが避難所で、悲愴な面持ちで震えてるじゃありませんか。

若い世代の人たちだって、これからの暮らしをどうしていけば良いのか、悩んで苦しんでるじゃありませんか。

そんな人たちのために、とりあえずは今日の温かい食事、着替えや衛生用品、その他の必要物資を届けて、何が悪いんでしょうか?

千羽鶴だけはやめといたげて)

 

「売名行為」だなんて非難する人は、自分も同じ事やってみれば良いと思います。

結構な時間と労力、それなりのお金が必要なことが分かるはずです。

そして顔も名前も出して、「どうだ、スゴイだろ~!」って言えば良いと思います。

単なる自己満足で終わることが分かるはずです。

それでもその人が望むなら、言ってあげますよ。

「スゴイね~!」って。

 

「やらない善より、やる偽善」だと、私は思うので。

 

ところで。

派遣先の企業では大規模災害の時はいつも募金箱が回ってくるので、私はそれに寄付をするつもりでおりました。

が!

昨今、在宅勤務の人も多いし、お金の管理も大変なせいでしょうか。

社内Web上から専用ページに飛んで、QRコードを読み取って、カードや引き落とし口座を入力して・・・とか言われちゃいました(^^;

デジタル難民の私には、ハードル高すぎ。

前に利用したことのある、日本赤十字かどこかにしようと思います。

 

読んで下さってありがとうございます。

 

毒親語り ③その名はキエコ

※自分自身の気持ちの整理のために書いている、毒親にまつわるエピソードです。

 苦手な方はスルーして下さい。

 

母の名は、キエコといいます。

どういう字だったかは忘れました。

さすがに本名の方は覚えていますよ(^^;。

キエコというのは母が50何歳かの時に、どこかの占い師に付けてもらった名前です。

 

その当時、これまでも書いてきましたが、父は脊椎損傷で下半身不随となり、自宅で母の介護を受ける生活でした。

2歳上の姉は20代半ばで一度結婚していますが、2ヶ月ちょっとで出戻り、以後は実家から2駅離れた町で一人暮らし。

私はと言えば、両親には全く理解できない趣味(飛行機の写真など)に没頭する毎日・・・。

両親は「女の子は結婚して家庭に入るもの」「そうさせるのが親の役目」という考えしか持ち得ない人種で、早く私を嫁がせて、その後で姉の再婚相手を探したいと焦っていました。

 

不幸なことに、そこへ母の更年期が重なりました。

 

常日頃から、思い通りにならない小さな事で爆発しては、「暑い!暑い!もうイヤ、全部アンタのせいだわ!」と、私のせいにする母。

いや、それはホットフラッシュという更年期の症状で・・・などと説明しようものならまた「アンタは理屈っぽい!性格が悪い!」と来るのが分かっているので、「はいはいそーですか」と受け流す私。

 

ある日、母は私をまともに指さして言いました。

「アンタの名前、お父さんやお母さんやお姉ちゃんの名前と、すごく相性が悪いんだって!3人は『土』で、アンタだけ『火』なんだって!」

 

どうやらお友達の紹介か何かで、占い師さんのところへ行ったようです。

 

「アンタの名前がこの家族を不幸にしてるの!お父さんがあんな体になったのも、お姉ちゃんが離婚したのも、全部アンタのこの名前が悪いの!この家の不幸は全部全部アンタのせいなの!」

 

(そんな名前付けてくれて、ありがとう(・・))

 

我ながら素直な心の声(^^;

でもこれを口にしたら、おそらく母は憤死する・・・。

 

「じゃあ私、名前変えようか?占い師に見てもらったんでしょ?家族が幸せになれるような名前、考えてもらえば良いんじゃない(^^)?」

 

母としては私が何か感情的な態度で反発してくるだろと思っていたのでしょうが、私があまりにアッサリそう言ったので、期待外れだったようです。

 

「いいの!アンタは名前を変えなくてもいいの。お母さんが変えるから!」

 

そう来たか。

 

「お母さんが名前を変えるからいいの!お母さんが犠牲になって、この家を守るの!」

 

「犠牲」とな。

そう言う母の顔は、すごく充実感にあふれて楽しそう。

要するに、なんだね(・・)?

 

それから母は、どこかの占い師に「キエコ」という名前(漢字忘れました~)をつけてもらって、名刺を作ったり、お店のメンバーズカードを作ったり、その名前でお友達に手紙を書いたりしていました。

 

が!

2年くらいで飽きたようです(^^;

 

それからは平然と元の本名で生活し、私も面倒なのであえてツッコミは入れませんでした。

 

それから月日は流れて、姉は再婚し、父は入所した介護施設の不手際で誤嚥性肺炎を起こして亡くなり、それから姉は結婚13年で2度目の離婚をしました。

 

これは誰の名前のせいなんだろうなぁ・・・と、たまに思います。

母も人の心があるのか、それともすっかり忘れているのか、「やっぱりアンタの名前のせい!」とは言ってきません。

母の中では「終わったこと」なんだと思います。

でも、私だって全く傷つかなかったワケじゃないです。

もし母が、また名前のことを話題にしたら、言ってしまいそうな自分が怖いです。

 

「お父さんがあんな死に方したのも、お姉ちゃんが捨てられたのも、全部お母さんがおもしろ半分に家族の運命を引っかき回したせいだからね!」

 

さすがに人として、これを言ってはイカンよなぁ・・・。

 

ちなみにこの名前にまつわる話、昔、知人に話したところ・・・。

「たこちゃん、そんな親の下で育って、よくグレもせず刃傷沙汰も起こさず、まともに生きて来られたねぇ!そんな親からはさっさと離れな!老後の介護なんかしなくていいから!」

だそうです。

 

私もそう思います。

 

読んで下さってありがとうございます。

 

「いつか」は来る! 「捨て活」と「捨てない活」

2023年、私は「捨て活」を頑張っていました。
使っていない物を処分して、スッキリとした暮らしをしたくて。
1日1捨て。
スケジュール帳の年間計画ページは毎年使わないので、そこに捨てた物を記入して、年間で何個捨てられたかを確認していました。
結果、2023年は7月10日で終わり。
半分ちょっとの成績でした。

 

2024年はもうちょっと頑張ろうと、処分する物をいろいろ考えました。
年齢に合わなくなった服や、カバン類、趣味の黒歴史など(^^;
それら処分したい物の中で一番場所を取っているのが、分厚い毛布でした。
毛布は2枚持っていますが、オフシーズンはそれぞれクルクル巻いて円筒形にし、昔使っていたマルチクロスで包んでクローゼットに入れてあります。(圧縮袋は使わない派です)

けど、それまで北側の部屋を寝室にしていたのを、ベッドを南側のリビングに移したら、事態は変わりました。
基本的に南側と北側では気温が違うし、寝る直前までリビングで暖房をつけて過ごすので、寝る時も分厚い毛布はいらなくなったのです。
今は羽毛布団の上に、膝掛け程度の薄~い毛布を掛けて、それで充分です。
そうなるとあのクローゼットの中の、2枚の毛布が占領しているスペースがもったいなく思えてきまして・・・。

 

最初は寄付を考えました。

あまり高級ではない老人施設などでは、親族に頼れない入所者さん用に、寝具や衣類の寄付を受け付けているところもあると聞いたことがあったからです。
私の毛布、1枚は20年くらい使っているけれど、もう1枚は比較的新しくてきれいなので、こっちなら貰ってくれるかも・・・。


でも、ちょっと待って。
私はいつも毛布は自宅の洗濯機で洗うので、そういうのってOKなのかな?
クリーニングのタグが付いていないと、やっぱりNGかな?
でも寄付するためにわざわざクリーニング代払うのって、何だかなぁ~。

 

もう、メンドクサイな~。
いっそ捨てちゃおっか・・・?


と、思っているところへ、元日早々、能登半島で大地震が起きました。

 

真冬の北陸、電気も水道もガスも止まった中での避難生活。
どんだけ寒いんだろう(><)!

 

そう、よく物を捨てる時に「いつか(使う日)」は来ない!と言いますが、
その「いつか」が来たんですよ!

 

防災に関して、私はいつも漠然と「3日分の水と食料があれば何とかなる」と思っていました。
その時のイメージは、壁にヒビは入っているかも知れないけど、マンションの自分の部屋で、ローリングストックしてあった缶詰などを食べながら、非常用トイレを使って用を足し、ひたすら自治体やマンションの管理組合から何か連絡が来るのを待っている私・・・でした。

 

でも、そんなの甘っちょろい夢です!

 

高台なので水害の心配こそ無いけれど、マンション自体が無事とは限らないし、火災が起きないとは限らない。
自宅からは出火しなかったとしても、隣近所から出火すればウチも無事では済まない。
何より巨大地震が広範囲で発生した場合、助けなんて来ないかも知れないんです!
そうなったら、毛布1枚だって生き延びるための貴重な物資です。
寒さをしのぐだけじゃない、最悪車中泊になった時、シートの段差を埋めるのにだって使えるんですから。


何も、毛布に限った話では無いですよね。
「断捨離」とか「捨て活」とか「ときめくか、ときめかないか」とか。
確かに身の回りはスッキリするけれど、何の備えも無いっていうのはどうなんだろう?

「いつか」は来ない!とは言うけれど、この「いつか」は「平穏無事に暮らして行けた場合」の「いつか」のこと。
非常事態への備えは、身の回りに多少「モヤッとする物」が目に入ったとしても、我慢することも必要なのかも知れない・・・。

もちろん古すぎて危険とか、使うために修理が必要とか、そういう物は「捨て活」で良いです。
でも万が一の時に役立つ可能性のある物は、「捨てない活」も必要なんだなとしみじみ思ったのでした。

 

と、言うわけで・・・。

 

 

とりあえず自宅の防災用品に足りなかった物として、ヘルメットとラジオを買ってきました。

自分の身は自分で守る。

情報は自分から取りに行き、自分の判断で動く。

これができないと、「いつか(まさかの日)」を乗り切れません。

 

2024年は、不要な物は捨てつつ、普段使わないけど非常時には役立つかも知れない物は、ストレスにならないような収納の仕方を工夫していきたいと思います。

 

他に、捨てないと決めた物。

ヤマザキ春のパン祭りでもらった食器・・・。

あれは他の食器が全部割れても生き残るらしいです(^^;

 

読んで下さってありがとうございます。

 

自分の中の偏見を見た日

先日、地元のショッピングモール内を歩いていた時のこと。

化粧品売り場の横を通りかかった時、美容部員さんが2人の男性とやり取りをしているのが目に入りました。

普通、化粧品売り場といえば明るい照明のキラキラした感じを思い浮かべますが、そこは規模の小さいモールだったので化粧品売り場もこぢんまりとしていて、台所雑貨などのコーナーに隣接するあまり目立たない場所にありました。

男性は東南アジア系でしょうか、こころなしか肌の色の濃い若者。

身なりに関しては、お世辞にもパリッとした格好ではありませんでした。

誰かへのプレゼントでも買いに来たのかな?と思って通り過ぎようとしましたが、横目で見ると、片方の男性が自分の手を美容部員さんの方に差し出して、何やら話しています。

美容部員さんも一生懸命説明する感じで、男性の手の甲にクリームを塗っています。

女性へのプレゼントなら、人気色の口紅とかアイシャドーだよね?

自分の手の甲で試すか、普通??

 

あれって、もしかして、絡まれてるんじゃないの(~_~;)・・・?

人通り少ない場所だし。

助けに入った方がいいかも?

 

おせっかいおばさん根性全開で、近くの雑貨の棚を見るふりしながらチラチラ覗いていると・・・。

 

美容部員さん、ガチ接客中でした!

 

 

よく見ると手を差し出している方の男性の顔には、ところどころ白い斑点があったのです。

生まれつきなのか、それとも病気や火傷で跡が残ってしまったのか。

もしかしたらそれを隠す方法を相談していたのかも知れません。

 

良かった、絡んでる現場じゃなかったんだ。

ホッとしてその場を離れ、自分の目的の商品を見に行き、帰りにまた同じ場所を通ると・・・。

 

パウダーファンデーションで仕上げに入っていました(^^;

下地からフルコースでやってたみたいです。

 

こんな田舎の化粧品売り場だから、濃い色のファンデといっても一般的なラインしか置いていないとは思うけど、それでも肌のムラが消えてきれいになったら、それは彼にとっての希望でしょう。

ネットで探せば医療用のカバーファンデあるかも知れないしね(^^)。

 

それにしても・・・。

 

地元は製造業が多い土地柄のせいか、ブラジル系・中国系・東南アジア系の若者をよく見かけます。

自分としては常日頃「差別は良くない」と思っているのに、やはりどこかで「常識が違う人たちなんじゃないか」と身構えているんだな、と思い知らされました。

あまり無防備でもいけないけど、まず最初はニュートラルな視点を持たなくちゃと思った私です。

 

 

読んで下さってありがとうございます。

 

 

毒親語り ②父の車椅子

5年くらい前、仕事先で一緒だった先輩派遣さん(アラフォー)は、ズケズケものを言う人でした。

私もかなりハッキリものを言う人間ですが、その私でもビックリするくらい。

ある日、そんな彼女と雑談していた時のこと。

お互いの親の話になって、彼女はお母さんととても仲が良いらしいことが分かりました。

「たこちゃんのお家はどうなの?」

と訊かれ、

「あー、なんて言うか、ウチの母親は人間として未熟なところがあって・・・」

と答えたところ・・・。

エライ怒られました(^^;

「親に対して言う言葉じゃない!」そうです。

うん、儒教道徳的にはそうかも知れないんだけど、世の中にはそれじゃ済まない人種ってのがいてね・・・。

上司も出張でおらず、仕事も暇な日だったので、話して聞かせて差し上げました。

 

私の父は50代の初めに脊椎を損傷し、下半身不随となりました。

両親とも古い人間ですので、ヘルパーさんなど他人の力を借りることは頭になく、当たり前のように自宅で母が介護することになりました。

家の中は車椅子で動けるようにリフォームし、玄関の段差には昇降機を、庭から1階の父の寝室の掃き出し窓へはスロープを付けました。

それらから出入りする時に、車椅子のタイヤを全く拭かないことに、私は正直「ゲッ(^^;」と思っていました。

拭くと言っても父は自分ではスムースに出来ないので、母の仕事になります。

母は、自分の苦手なことや、やりたくないことは、へらへらっと笑って「こんなの平気よねえ~?」で済ませる人です。

たとえ父がタイヤを拭きたかったとしても、母に全面的に介護してもらっている身ですから言えなかったでしょう。

まあ、父の建てた家だし、私の部屋に入ってくるわけじゃないので、目をつぶっていました。

 

私の姉は1回目の離婚後、1人暮らしをしていましたが、10年くらいたった頃に再婚が決まり、両家の家族だけで小さな式を挙げることになりました。

場所は、実家から少し離れた街にある神社。

ネットで調べたところ、参道は砂利道のようです。

私は母に言いました。

「拝殿に入るなら、建物の中を通るでしょう?ああいうところって赤い絨毯とか敷き詰めてあるから、汚れないようにタイヤを拭く雑巾を準備していった方が良いよね。段差もあるかも知れないから、板も用意して行く?」

それを聞いて、母が鬼の形相で言った言葉・・・。

 

「そんな準備はしなくて良いの!アンタはお父さんの車椅子がそんなに汚いって言うの!?」

 

いや、精神的には汚くなくても、物理的に汚いよ。

自分の家ならともかく、他所様のところへ上がらせていただくわけだし・・・。

 

「そんなものは必要ないの!何なの?アンタはそんなにお父さんを可哀想な存在にしたいの!?

 

アカン(´д`)・・。

それ以上会話を続ける気力もなく、私はそこで話を切り上げました。

 

挙式当日、参道の深い砂利に沈んで車椅子のタイヤは全く回転せず、女手だけで動かせるはずもなく、新郎とその父親が引きずって進むしかありませんでした。

拝殿への出入りの段差は、同じく新郎とその父親が根性で車椅子を持ち上げ、そして廊下の赤い絨毯には、白い2本のタイヤの跡がくっきりと刻まれました。

私は神社にも、義兄家族にも申し訳なくて仕方ありませんでしたが、おめでたい日に現場で母の落ち度を指摘してまた言い争いになるのは嫌だったので、口をつぐむしかありませんでした。

母だけが終始、へらへらと笑っていました。

 

母が、申し訳ございません

 

それから私は実家を出て、3年弱のアパート暮らしの後、新築マンションを購入しました。

両親は住宅取得資金贈与として、200万円くれました。

財産分与的に、姉の1回目の派手な結婚式と公平にするため、とか何とか。

本当は遠慮したかったのだけど、ありがたく頂いておきました。

「いらない」と言えばまた、「生意気だ」とか「可愛げがない」とか「性格が悪い」と来るのは分かっていましたから。

引っ越してしばらくすると父が、私がどんなところで生活しているのか見たいと言って、遊びに来ることになりました。

偶然ですが、ウチのマンションは外の共用部分も、部屋の中も段差のない完全バリアフリー

車椅子でも何の心配もいりません。

両親が玄関に到着し、私が準備していた雑巾を手に近づいていくと・・・。

 

「いやっ!アンタそんなことするの!?」

 

母の金切り声。

 

「そんなのは必要ないの!お父さんの車椅子は汚くなんてないの!このままでいいの!」

 

いや今回、それを決めるのは、家主である私です!

 

喉まで出かかった言葉を、私は飲み込みました。

ここで言い争いになったら、母はまた言うでしょう。

 

「アンタはそんなにお父さんを可哀想な存在にしたいの!?」

 

さすがにそれだけは、父本人に聞かせてはいけない。

父とて好きで病気になったわけじゃないんだから・・・。

私の最後の良心でした。

 

他人の家、しかも新築物件に、土足で上がる。

何であの人たちが、実の親なんだろう・・・。

二人が帰った後、私は泣きながら、父の車椅子が通った場所の床を雑巾がけしました。

 

 

 

全部を聞き終えて、先輩派遣さんはポツリと言いました。

 

お父さんをいちばん可哀想な存在にしているのは、お母さんですよね(・・)?

 

先輩、さすがですm(_ _)m

 

 

 

読んで下さってありがとうございます。