アリギリス日記

50代・一人暮らし派遣社員さんの ささやかな日常をつづる ゆるい日記です

何十年も勘違いしていた話

最近YouTubeで、古代中国史をゆるーく解説してくれるチャンネルを視聴しています。

歴史は長いし、人名は漢字だし、やたら人数多いし、苦労はあるけれど楽しいです。

 

そんな中で、ちょっとショックなことがありました。

 

王昭君」という名前をご存じでしょうか?

紀元前1世紀、漢の元帝の命令で匈奴の王の許へ嫁いで行った女性です。

中国四大美人の一人とされ、古来その悲劇的な生涯を題材にした文芸作品は多く、中国ではドラマ化もされているようですね。

(興味のある方はおググり下さい。山ほど出てきます(^^;)

 

※画像はネット上から拾ってきました(他のどの画像より、これが一番美人さんです)

 

で、何がショックだったかと言いますと・・・。

 

古くから中国において絹織物は重要な輸出品でした。

なので養蚕の技術は門外不出。

これを破ると死罪だったそうです。

 

ところが、禁を破って養蚕技術を国外へ持ち出した女性がいました。

政略結婚で、異国の王の許へ嫁いで行く王女でした。

彼女は桑の種と蚕の卵を結い髪に隠して持ち出したのだそうです。

 

で、くどいようですが何がショックだったかと言いますと・・・。

 

私は王昭君が、この養蚕技術を持ち出した女性であると、ずっと思っていたのです。

いや子供の頃、確かにそういった文章を読んだ記憶がある!

けれど今、どこをどうググっても、王昭君に関してそういった記述は見当たりません。

かろうじて見つけたのは、

「1世紀(または2~3世紀)頃、中国の王女がホータン国(現在の新きょうウイグル地区)に嫁ぐ時、禁制の蚕種を髪の中に隠して持ち出した」

という内容の記述のみ。

 

王昭君なんてどこにも書いてないし、年代違うし、そもそも王昭君後宮の女性で王女じゃないです。

それに彼女が嫁いで行った匈奴というのは、北方の騎馬遊牧民の国。

彼らが定住して桑の木植えて蚕育てて・・・なんて、想像するのも無理無理無理。

 

かれこれ40年以上、勘違いしていたんだな、私は・・・_| ̄|○

 

いや。

こんな歳になってからでも、間違いに気づけたのだから良しとしよう(-_-)。

これからも生きていれば、「え?そうだったの!?」っていうこと沢山出てくると思うけど、「君子は豹変す」の精神で行きます!

 

そして今日もまた、YouTubeで古代中国ロマンにどっぷり漬かる・・・。

 

マニアックな話ですみません。

 

読んで下さってありがとうございます。

 

※ちなみに王昭君は、自分で匈奴への降嫁を志願したという説もあり、またその生涯も夫の死後帰国が叶わなかったことの他は、それほど大事件に巻き込まれたという史実もなく、悲劇のヒロインというのは後の創作?とも言われています。

 

※10/9 文言を一部修正しました。

    遊牧騎馬民族→騎馬遊牧民

    (「民族」と書いてしまうと同一の民族と思われがちだが、実際は複数の民族がそれぞれ

      独立した国を作っていたので、近年は「騎馬遊牧民」と表現するそうです)