アリギリス日記

50代・一人暮らし派遣社員さんの ささやかな日常をつづる ゆるい日記です

私の虹を返して

明日、名古屋レインボープライドのパレードが行われるそうです。

「LGBTQを軸に、一人ひとりの多様性を可視化し、権利や尊厳を求めるイベント」だそう。

今日の夕方のTVで、それの前振りのような番組をやっていました。

 

私自身は、生物学上の性と心の性に矛盾は感じていないし、身近にそういう人もいませんが、多様性に関しては尊重したいと思っているし、本人が自己責任でやっている分にはOKだと思っています。

 

ただ・・・。

 

いつからでしょうね?

LGBTQ=多様性の象徴として、「虹(レインボー)」が使われるようになったのは。

 

自然界の物だし誰に断る必要も無いのかも知れないけど、逆にみんなが好むモチーフだからこそ、特定の主義主張のシンボルとして使って欲しくなかったな、と思うのは私だけでしょうか?

 

昔は、虹と言えばファンタジックなアート作品の定番モチーフでした。

ただただキレイで、雄大で・・・。

でも昨今、虹をモチーフに何かを発信すると、LGBTQの活動の意図があるように思われそうな気がしませんか?

自分が作品に込めた思いとは全く違う解釈を一方的にされてしまいそうで、自由な表現が出来なくなっているアーチストもいるんじゃないでしょうか。

 

 

私が「そう見られたらイヤだな」と思うのは、今日見た番組でもそうでしたが、こういう活動で取り上げられるのはすごく善良な「ゲイ」や「トランスジェンダー」の方達ばかりで、昨今問題になっているタイプの人々のことには一切触れないからなんですよね。

例えば「心は女性だから」と女湯に入ってくる「染色体も見た目も男性」の事件が、実際にありました。

スポーツ界でも、男性から女性に性転換した人が女子選手として出場するのはどうなのか?という議論があります。

そういう自分事だけでは済まない、周囲にマイナスの影響を出してしまう面を全く取り上げないで、多様性だ権利だ尊厳だと言われても、ちょっと待って・・・!と言いたくなります。

 

私の好きなお話に、こんなオーストラリアの昔話があります。

「昔、鳥たちはみんな灰色の地味な色だった。ある時空の虹に黒いシミが出来て、それは悪い虫の仕業だった。天の鳥が降りてきて一緒に戦って欲しいと言った。怖がって行かない鳥もいたが、勇気ある鳥たちは一生懸命戦って、苦労の末に勝利した。虫と戦った彼らの身体は虹の色がこすりつけられて、きれいに染まっていた。それ以来、鳥には綺麗な色の者や地味な色の者がいる」

 

このお話は、特定の主義主張とは無関係に、素直な心で感じたいです。

 

私の虹を返してください。

 

読んで下さってありがとうございます。