「毒親」という言葉に心癒やされるのは、私だけでしょうか?
※ 注意 暗めの内容です
ウィキペディアによりますと、毒親という言葉は英語圏では1989年からあるようですが、日本では2015年頃にブームになったそうです。いわゆる「毒親本」が多数出版された頃ですね。2015年というと、今から6年前。記憶をたどると、うん、そのくらいだったなぁと思います。
幼い頃から親との関係に悩まされ、自分の体にあの人たちの血が流れている事実が苦痛でした。いっそ「お前なんか橋の下で拾ってきたんだ!」と言われた方がどんなに楽だったか。けど残念ながら私の両親は「親は正しい!親の言うことを聞け!」と、血縁関係を根拠に相手を支配しようとするタイプでした。
どんな親だったか具体的には書きませんが、ある時知人から「親を大切にしないとダメだよ!」と説教されて、私の親が私に対して、また社会に対してしたことを1つ2つ軽く話したことがあります。それを聞いた知人は言いました。
「それもう縁切っていいよ!離れな!老後の介護なんかしなくていいから!」
つまり、そのくらいの親でした。
うちの親は異常だ。こんな不幸な家はうちだけだ・・・。
そう思っていた私に、この言葉は衝撃でした。
「毒親」
ああ、うちだけじゃ無かったんだ。私だけじゃ無かったんだ、苦しいの・・・。
思わず涙がこぼれたのを覚えています。
父親はもう亡くなりましたが、母親との関係は現在進行形で続いています。私も人の子の親でおかしくない年齢になり、多少は感情的に寄り添うことが出来る箇所も出てきました。けれどどうしても許せなくて、思い出すたびに絶望的な気持ちになることも多々あります。
そんな時、あの言葉を思い出して、ちょっとだけ自分の心を癒やしてあげるのです。
自分だけじゃないんだよね、苦しいの・・・
鏡を見ると、父親と母親の特徴をミックスしたような自分の顔が映っています。
「誰がどう見てもあの二人の子供だね!」と、よく言われる容貌です。
けれど、私は私。
私の人生は、私のもの・・・。
そうやって自分を奮い立たせて、日々を生きています。
最後まで読んで下さってありがとうございます。